卒論の執筆過程を振り返る
2007 / 02 / 26 ( Mon )
増田より、
頭のいい人が成功できるかどうかの境目。
(※ここでの「頭がいい」=「勉強ができる」)実際、先輩や教官にしつこく教えを請いまくることはよく考えてみれば学生の本分なのだ。授業料を払っているのだから、「教えてもらって当然」ぐらいの貪欲さでちょうどいいのだ。何かあれば偉そうに口を利いてみるのがよい。やりたいことを主張されなければ、教官とて指導のしようがあるまい。言うだけ言ってみればいいのだ。失うものは何もない。主張した結果「それは無理だ」と言われても、「いやあ、無理っすか。ははは」と笑っていればそれですむ。そして反省点は心の中だけにとどめ、次のチャンスを狙えば良いだけなのだ。
これは卒論を書いてて思いましたね。
単純に時間と問題規模から、自分一人で全部やり遂げるのは無理だーってのがあって、
先生方・先輩諸氏には随分とお世話になった。
自分一人でやろうとしたら、
書きかけの証明というか、変な仮定のついた命題というか、
とにかく妥協した結果に落ち着いていたんじゃないかと思う。
俺の場合、研究の過程は主に、
1. 問いを発する
2. 関連研究の論文を読み漁り、
自分で考えられるところまで考えてみる
3. 先生や先輩の意見を聞く
4. 聞いた意見をまとめあげる
5. 1に戻る
というループだったんじゃないかな。(実験とか無い畑の人です)
で、書きながら議論の着地点を手探りしていく。
繰り返し数は多いほど良い。
なんだか言ってみれば当たり前のようだけど。
ここで一番大事なのは 3 で、
できるだけ多くの人と議論してみるのがいい。
時間を取らせることがその人に迷惑かもとかあまり考えない方がいい。
(そのぶんなるべく相手にとっても有益な議論になるよう心がける)
もちろん本当に忙しい人には近寄れないが。
問題設定と自分の考えを人に説明することで対象の理解も深まるし、
やっぱり第一線に居る方々は頭の切れ味が違う。
3人ぐらいから個々に有益なアイディアがポロポロ出て、
それを一つにまとめる作業の繰り返しだけでおおよそ書けてしまった気がする。
だから、問題を噛み砕いて新たな問いを発していくことにひたすら頭を使った。
定式化さえしてしまえば、解法のデータベースはわりとどこかにあって、
自分が知らなければ知っている人から教えてもらえばいい。
その分野全体を把握してないうちに全部を自分で考えようとすると、
車輪の再発明を大量に含むことになる。(それも凄く勉強にはなるけど、成果にはならないのでタイムリミットがある時には避けたい)
なにも自分の頭で考えることが無駄だと言っているわけではなくて、
自分一人じゃ絶対出てこない発想や情報というのは間違いなくあるという話。
普段からいろんな情報集めて考察加えてっていうのが重要であることは言うまでもない。
でもこれは学士や修士ぐらいまでの話で、
こんな他人の脳に寄生した方法じゃイカンと思っていたのだけど、
いろいろ読んでみると、案外研究者はずっとこんな感じっぽい気がしてきた。
まぁ、もちろんある程度自分一人でガンガン進めていけるだけの力が必要になるだろうけど、
同じぐらい研究者同士の意見交換というのが重要なんだと。
新しいアイディアを生み出すにしても、
離れた所にあるアイディア同士を有機的に結びつけるにしても、
なるべく情報を共有した方が効率が良いのは当然だ。
近いテーマの研究者同士のネットワークというのは、かなり発達しているらしい。
そういえば、フェルマーの最終定理みたいなのは特殊ケースで、
競争があったから孤独だったって話があったなぁ。
P.S.
ここの米欄がひどいことになってる…。
皆どうしてそう煽りたがるの?
増田。
2007 / 02 / 26 ( Mon )
はてな匿名ダイアリー(通称、
増田)が面白い。
最近はやっぱり
就職とか
学歴ネタが旬でしょうか。
ニコニコ動画が止まっている間の暇つぶしの代替にでもどうぞ。
と、わりと俺自身、はてな信者だったりするのでちょっと宣伝してみる。
ここであえて Rimo ではなく増田なのは Rimo がそんなに楽しくないから。サービス開始直後は糞みたいにつまらなかったけど、
ユーザー側が試行錯誤しつつ使い方を探ってきて、
また母体も大きくなってきたのもあって、名文が増えた。
トラバをツリー表示する辺りが肝なのかな。
ブログ文化と匿名掲示板文化の間に生まれる何かを持っているような気がする。
親記事を投下した人とそれに対するコメントが同列に扱われる点とか、
裏にidがあるから極端に荒れることはないだろう点とかいろいろ。
こういう玉石混淆の塊みたいなものに、
はてブという分類・評価機構がガッチリ組み込まれているのも大きい。
ただまぁ、はてな全体に言えることだけど、ちと閉鎖的なところはあるかもしれない。
去年始まったサービスの中では、ニコニコ動画の急速な成長にびっくりしたけど、
こっちも順調に育ってきてますね。今後も注目しておきます。
アポロG
2007 / 02 / 25 ( Sun )
そろそろ春なので、テンプレートを変えてみました。
模様替え大好き人間です。こんにちは。
ブロガーにとって、読者はお客様だろうか、と考えてみる。
報酬は対話。コストは時間。
そう割り切るのは好きではないんだけど、
それも一面なのかな。
それなら差詰めウチは零細企業だ。火の車だ。左から右へ。東へ西へ。
まぁ、いろんなブログのあり方ってのがあると思います。
馴れ合いもいいよね。
和をもって尊しとなす。すばらしきかな日本文化。
僕とカルテル組みませんか?
先輩に敬語を使われるのは気持ち悪い
2007 / 02 / 19 ( Mon )
特に体育会系出身なわけではないけれど、
先輩というものは後輩に対してある程度偉そうにすべきだと思う。
目上の人間から敬語で接されるということは、対等の関係として見られているということで、それが嫌だというのは先輩後輩という関係に甘えたいだけなのかもしれないが。
まぁ、仕事の世界ってのはデフォルトで敬語敬語敬語なものなのかもしれないけど、やっぱそういう社会はひどく疲れる。本音をコーティングする仕様だから。
学生の間ぐらい、ぬるま湯な環境に浸っててもいいんじゃないかしら。
先輩後輩の関係ってのは
上司と部下という、仕事上の役割分担の関係とは違う。
ただ付き合いやすいように互いに役を演じているような。
もうちっと柔らかい、カジュアルな関係でいいと思う。
「アホかw」
てのはツッコミとして機能するけど、
「あなたはアホですか」
とか言われたら笑えなさすぎるというか。
逆に、後輩は先輩に対して過剰に敬意を払う必要はないと思っている。
丁寧語は使うけど尊敬語や謙譲語は意識して使わない、みたいな自分ルールがあったりする。
一定以上の頻度で顔を合わせる仲だと、敬語を使うということが、
明示的に一定のラインを引く行為であることを強く感じてしまう。
微妙なのが、年下の先輩/年上の後輩 という関係だ。
あー、歳とかよりむしろその人の雰囲気とか
その人に対する周りの態度とかが本質か。
普段あんまり年齢というものを意識することが無いし、
ネットみたいな環境だとそもそも相手の歳がわからないし。
たいていの場合、初対面時には敬語から始めて、
徐々に適度な距離感を探っていくという感じになるけれど、
そういう探り合いがすごく面倒くさい。
控えめに言っても、あまりそういうのを楽しめる性質ではない。
俺はそんな人間だから、何の打算も無く、さっくりこっちの内側に踏み込んで来る人に対してわりと好感を持ったりする。
特に器量が良いわけでもないのにナチュラルにそれができる人は尊敬にすら値する。
自分としても、そんな絶妙なカットインができればフラグも立ち放題だと思うのだが、そういうのを受け付けない人間も多いのが難しいとこだ。
確かにベタベタの馴れ合いってのも気持ち悪いものだけど、まぁ、コミュニケーションてのはそうやって進めていくもんなんじゃないだろうか。それしかないとは言わないけど、他人の気持ちなんてそう簡単にわかるわけもなく。
中身の無い会話に適当に相づちを打っていくような上っ面の付き合いも大事なのだと思っている。そういうものの積み重ねがあればこそ、ある時いきなり面白い話題に飛躍したりするのだから。
そんなことをつらつら思いつつ、
まわりに関西人が多い環境ってのは癒しだよなーと感じる春なのでした。
ちとツッコミが厳しすぎる感は否めないんですけども。ええ。
頑張れってのは、頑張ってない奴に言うもんだ
2007 / 02 / 13 ( Tue )
自分がされて嫌なことを人にするな / 自分がされて嬉しいことを人にしろ
という言葉は
そこに価値観のズレがあった時にどうしようもないよな、と思う。
自分が必死に頑張っている時
『頑張れ』って言われてムカついた経験がないのだけれど
世間的にはそうでもないらしい。
励ましに聞こえない、よっぽど薄っぺらい言い方になってたってことなんだろうなぁ。
あぶはちとらず
2007 / 02 / 13 ( Tue )
「このブログはあぶり出しになっています。」
というネタを思いついたのですが
「炎上しそうだよね。」
と言われてしまいました。
近況とか。
2007 / 02 / 04 ( Sun )
やぁ。
ちょっと放置のつもりが、これまた随分と久しぶりになってしまったものである。
しばらく見ない間に溜まったスパムコメントさんこんにちは。そしてさようなら。
長い間ブログを書かないでいると、
だんだんブログを書こうという気が起こらなくなってくるものである。
長い間ゲームをやらないでいると、
だんだんゲームをやろうという気が起こらなくなってくるものである。
長い間煙草を吸わないでいると、
だんだん煙草を吸おうという気が起こらなくなってくるものである。
長い間えっちぃことをしないでいると、
だんだんえっちぃことをしようという気が起こらなくなって…こないのである。
やはり三大欲求は別格だと認識する恭子のゴロである。恭子は凄腕の二塁手である。
とまぁ、最近である調の文ばかり書いていたせいか、
すっかり語尾に「である」がデフォになってしまったのである。
もちろん嘘である。くどいのである。
くどいのであるが、書いてて楽しくなってくるのだからしょうがないのである。
心配して頂いた方にはお詫び申し上げますのである。
そいつは杞憂なのである。
当人はいたって健康体なのである。
ただ、完っ全に圏外の研究室に引き籠もっているため、
連絡が全然つかないだけなのである。
その分作業に没頭できるかといえば、
ネットがある時点で全然そんなことはないのである。
困ったものである。
来週には身体的にも精神的にもいろいろと解放される予定であるので、
それまでは早口言葉でもお楽しみくださいなのである。
可換環RのイデアルIが極大イデアルであるための必要十分条件は R/Iが体であることである。
ではノシ である。